こんにちは!
みのり農場の麻生真司です。
最近は気温が上がって来て春の陽気ですね♪
さて、先日の話なのですが母が
「春でせっかくのいい天気だから無性にお弁当が作りたい!」
と言ってきました。
「何かいい弁当箱を出してくれない?」と言われましたので、
春慶塗りの松花堂弁当を出しました。
なぜこんな弁当箱を持っているの?という疑問は
長ーくなりますのでまた後日(笑)
母が早速作りました。
左下の升目から時計回りに
桜の花びら入りの俵型のおむすび
鯛の手鞠寿司
クレソンのお浸し
エビとじゃがいものチーズ和え
牛肉のごぼう巻き 叩き木の芽
だし巻き
サーモンの幽庵焼き
酒粕と青のりのかきあげ
里芋コロッケ
人参、椎茸、クレソンの白和え
全て和風の味だと食べている途中で飽きるということで
洋風の料理も入れたようです。
皆でありがたくいただきました。
ここでこの松花堂弁当の箱の由来が
ネット上に書いてあったので以下コピペします(笑)
↓
仕切りのそれぞれに刺身、焼き物、煮物、飯などを見栄え良く配置する。盛り分様式としては、ごはんと数種類のおかずを組み合わせたものであり、幕の内弁当に似ているとも言え、しばしば混同もみられる。しかし源流は、幕の内弁当が本膳料理の流れを汲む江戸時代に遡るものであるのに対し、松花堂弁当は懐石料理(茶料理)の流れを汲み昭和になってから誕生した様式であり、歴史は大きく異なる。
「松花堂」の名は、江戸時代初期の石清水八幡宮(京都府八幡市)の社僧であった松花堂昭乗(1584年(天正12年) – 1639年(寛永16年))に因むものである。昭乗は、農家が種入れとして使っていた器をヒントにこの形の器を作り、絵具箱や煙草盆として使用していた。
その入れ物が松花堂弁当に発展したのは、それから数百年たってからである(昭和の始め(1933年(昭和8年))頃とされている)。貴志彌右衛門の大阪(桜宮)邸内の茶室「松花堂」で茶事が催された折、彌右衛門が後年日本屈指の名料亭「吉兆」の創始者となる湯木貞一に、この器で茶懐石の弁当をつくるようにと命じたのがはじまりである(昭和8年「西田幾多郎日記」 太田喜二郎「絵茶會記」より)。 その後、毎日新聞が<吉兆前菜>として取り上げたことで話題となり、松花堂弁当の名が広まった。十字形の仕切りがあることで、見た目が美しいだけでなく、互いに味や匂いが移らないと考えたためである。湯木は、他家から松花堂弁当の依頼を受けると、その都度貴志家への挨拶を怠らなかったという。
以上です。
僕は吉兆の湯木貞一さんが考案したものと勘違いしていたので
このブログを書く機会に調べさせてもらえてありがたかったですね。
改めて湯木貞一さんの誠実な姿勢が感じられるエピソードで
心がほっこりしました。
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