こんにちは!
みのり農場の麻生真司です!
ゴールデンウィークが始まりましたね!
皆さんはどこにお出かけになりますか?
唐津では唐津焼をテーマにした「唐津焼きもん祭り」が開催されますし
有田は有田焼創業400年祭という記念の節目のイベントが
「有田陶器市」とともに開催されます。
佐賀県は有田が焼き物としては全国的に有名ですが、
唐津が関係しているとはあまり知られていません。
僕は今、33歳という年齢ですが、焼き物や古美術の
仕事をしているわけでもないですが、同世代の人と比べると
かなり佐賀の焼き物には詳しい方だと思います。
日本料理をやっていた事もありいけばなでも
たくさん美術品を買って実際に活けてきましたから
おそらく身についたのだと思います。
さて、まず有田を語る前に韓国から語らねばなりません。
え?韓国?と思われたかもしれませんが、はいそうなんです。
まず、400年以上前の日本ではいわゆる土器は焼かれていたのですが
陶器は焼いていなかったのです。
利休などの茶の湯が盛んになり始めた頃は
陶器は韓国や中国のものを使用していたはずですし
注文して韓国などから輸入していたはずです。
なので、とても高価なものだったと推測されます。
そして、佐賀県唐津市にある名護屋城を拠点として
豊臣秀吉が朝鮮を攻略しようと朝鮮出兵を行います。
この時、朝鮮の陶工を唐津に連れ帰り、
その陶工たちが唐津周辺にある土で
いわゆる唐津焼を開発します。
朝鮮の土とは違いますからかなり試行錯誤したと
考えられます。
産地は唐津はもちろん、同じ佐賀県の武雄などまで広がって
いきます。この間約30年ほどです。
しかし、全国的に見ても唐津焼は焼きの釉薬の種類が
一番多く多彩です。
朝鮮、粉引、皮鯨、三島、蛇褐、絵唐津・・・などなどとても種類があります。
そして、彼らは有田、伊万里で理想に近い土を発見するのです。
その土で有田の焼き物は花開き、今日まで続いていきます。
そして唐津は有田でいい土が見つかってからは有田が産地となり
一気に衰退していきます。しかし中里家だけはずっと焼き続けており
明治に唐津を再興しようという動きが活発になり、何軒かの
窯元が唐津焼をまた始めるのです。
ちなみに現代の有田は有田の土を使っていません。
熊本の天草の土を使っています。
有田の土は泉山採石場で採っていたのですが、
泉山の土は難しく作陶途中でとても割れやすいのです。
でも柔らかく、味があるのは泉山です。
初期伊万里は泉山でとても味があります。
現在の唐津は全国の小規模な焼き物の産地では
ダントツに若者の作家が多いのです。
萩、備前、楽、信楽などなど。
これって凄いことです。
いい器がどんどん今後出てくることを祈ります。
佐賀の焼き物の簡単な説明でした。
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